無能な人間の後始末は有能な人間ではなく、僕みたいな人間に回ってくる

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無能は脳天気で羨ましい

働き蟻の法則を知っているだろうか?組織の構成比は2:6:2の割合で成り立っているらしい。知らない人は調べてみるといい。これは集団組織に所属する上で必ずぶち当たる壁だ。そして今僕もその壁にぶち当たっている。しかし、2割の働かない蟻の後始末をしているのは、2割のよく働く蟻がしているとも限らないことを深く認識しなければならない。

会社ですれ違うと決まって話しかけてくる人がいる。この人のことを能無しと呼ぶことにしよう。能無しの世間話は大概つまらない。理由はわかっている。目標や目的を持って日々の生活を送っていないからだ。無視することのできない僕は、都合のいいように相槌を打ち、その場を凌ぐ。ある日、仕事で必ずその人と関わらないといけなくなった 。自分から話しかけるのは癪だが仕方がない。資料を持って説明しに行く。「今度こういう事業を受け持つことになりました。ここの部分の調整よろしくお願いします。必要な情報がありましたら教えてください。」すぐに席へ戻る。まず、能無しは理解力が乏しい。すぐに返事が来ないことはわかっていたから、逃げるようにして去った。もちろんこの時、他の席の人に聞こえるほどの声の大きさで言い、担保を取る。すると、のそのそと僕の席にやってきた能無しは、「さっきの件だけどこれとこれがあれば大丈夫です。期日は…です。」とボソボソと言ってきたので、「わかりました。」の一言でさらりと交わしたと思っていた。期日当日。必要な情報を持って能無しの元へ行き、「お願いします。」と渡そうとしたところ、「ちょっと待って。今から印刷するやつに記入して」と言い出した。その紙を見てみると、能無しが調整先に提出すべき資料。おい、ふざけるな。これを僕が書いてしまったら、能無しの仕事はそれをパソコンに打つだけじゃねえか。これを考えるのがお前の仕事だろ。心の中でブツブツ文句を言ってる時間を能無しは無言で反撃してくる。「これはあなたの仕事じゃないですか?」なんて言えないひ弱な僕は、遠回しに質問する。「これを僕がやると言うことですか?」その質問に「当たり前じゃないですか」という枕詞があるように鼻で笑いながら「そうですよ。」と言いてくる。腹は立つが、「わかりました。」と席に戻る。戻ると上司に言われる。「お前は優しすぎる。それだと自分が壊れるぞ。」おそらくさっきの能無しとのやりとりを見ていたのだろう。僕はその日、能無しの仕事をするために残業した。

能無しは仕事をしないが口がたつやつだ。しかも、タチが悪いことに自分より仕事できない人を怒ったり、陰口を言いまくる。自分のことは棚に上げて。周りに仕事していないことを気づかれないように下の人間をわざと目立たせることをする。滑稽だが、そういうことでしか周りを固めれないのだろう。僕は、自分の与えられた仕事はちゃんとこなすようにしている。たまには、どうにもならないこともある。それでもどうにかできないか悩み、なんとか最後までやり抜く。たとえそれが心を削る必要があってもだ。能無しは能無しで悩むらしい。話す相手の少ない能無しは、自分の仕事を請け負ってくれる僕に対して仲が良いと勘違いしているのか、やたらと話してくる。眉を下げ、あからさまな困った顔をして悩みを打ち明けてくるが、どれもしょうもない。大概どうにでもなることだ。おそらく本を読まないのだろう。数千円出して数時間読めば解決するようなことをグダグダ言ってくる。「そんなことで悩めていいな」心の中で思いつつ、聞き流す。僕は能無しよりずっと勉強してきた。ずっと苦労してきた。能無しは高卒。僕よりも10以上歳が上だ。苦労したら報われるとかよくいうが、元々苦労せずにずっと生きている能無しが少し羨ましい。

集団組織の縮図

ここまで能無しのことを辛辣に書いてきたが、僕が有能というわけではない。中の中もしくは中の下くらいだ。ただ、真面目というだけだ。有能な人間は、無能を切り捨てる。切り捨てても痛みを感じないくらい有能なのだ。中階層にいる僕はなかなか切り捨てられない。なぜなら、有能な人間に切り捨てられたくないからだ。いつ僕が無能と判断されるか分からないからビクビクしているのだ。有能な人間は組織から評価される有益な仕事にしか手をつけない。無能な人間はその場を凌ぐため、自分の責任を極力少なくする。その中間にいる都合のいい人間が無能の責任を負い、無益な仕事で埋め尽くされる。僕は、有能になりたいとは思わない。せめて都合のいい人間にはなりたくないと思いながら、今日も他人の仕事で残業している。

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